映画『鑑定士と顔のない依頼人』のネタバレありのプチ解説Part Ⅰ

こんにちは、映画案内人 もすりんです。


映画『鑑定士と顔のない依頼人』を最初に観たときは想定外のラストだったので、かなりの衝撃を受けてしまいました。

今回は日にちを開けて映画を観ました。

そうすると伏線があちこちに丁寧に張り巡らされていたことに気づかされしたので、プチ解説ということで書きたいと思います。


・『鑑定士と顔のない依頼人』をまだ観ていない方はコチラ
・『鑑定士と顔のない依頼人』のあらすじとキャストはコチラ

(※注)
本物のクレア と  クレアと名乗る女性 とがわかるように、クレアと名乗る女性<クレア>として書いていきます。


ヴァージルは仕事は美術鑑定士で競売人で一人暮らしで、ホテルのような、とても立派な広々とした屋敷に住んでいる。
潔癖症で、携帯電話をもつことも嫌がるほど、人と接することが嫌い。


楽しみといえば、さまざまな時代の女性の絵画を収集し、収集した絵を大きな部屋の壁に飾り、ひとりで楽しむこと。

その部屋は、隠し部屋だけれど、壁も天井もとても高く、まるでホールのような空間。

その壁一面に飾られている絵画を鑑賞しながら、お酒を飲んだり、読書をすることが趣味。

でもそんな彼の彼の生い立ちはというと、映画の中でクレアに話しているのですが、孤児院育ち。

悪いことをするとお仕置きで絵の修復の手伝いをさせられるけれど、好んで悪さをして、自ら絵の修復の手伝いをし得た審美眼を得ていったとか。

そんな過去があるものの いまや、美術鑑定士・競売人として遠くからもお声がかかるほどの有名人となり、今や大金持ち。


絵がたくさん飾ってある秘密の部屋にはパスワードを押さないと入れないけれど、その絵は競売の時に仲間のビリーと組んで競り落としてもらっていた。

ビリーはヴァージルから報酬として、いくばくかのお金をもらう。


時には、本物の絵なのにも関わらず、18世紀の贋作だと偽り、安く(それでも高い値段だと思いますが)でビリーに競売で落としてもらう。

そういう汚いことをしているので、ますますヴァージルが嫌な人だと思えてくる。


が、一方、顔も見せない若き<クレア>と名乗る女性から、家を売りたいから、家や家具などを査定してほしいという依頼され、仕方なくお屋敷にいっても約束の時間に姿を見せなかったり。

言っても会えない、姿を見せない という<クレア>の家や家具の査定はしないと言い話しつつも、一所懸命ヴァージルが謝ってくるので、情にほだされて、査定の話を進めていく。


そして<クレア>が広場恐怖症ということも知り、自分の力でなんとか若い彼女を外の世界へ少しずつ連れ出そうと懸命に考えて行動を起こす。

ときには、機械に詳しいヴァージルの知り合いのロバートへも相談にいく。

ヴァージルはビリー・ロバート・<クレア>・フレッドに騙されてしまうのですが、ロバートとの会話からもわかるように、ヴァージルは【好奇心】が強く【矛盾に惹かれる】ということを知っているからこそ、その点を上手に使って、ヴァージルをはめ込んでいきます。

このはめ込みの主犯はビリー。

ビリーはもともと画家で、ヴァージルに自分の絵の才能を認めてもらえなかったという恨みを持っている。

そこにのっかったのが、ロバート。


<クレア>のお屋敷に行くたびにヴァージルが古い機械の部品を見つけるように仕向けていったのでした。


もともとは、ヴァージルが<クレア>のお屋敷に行ったのは、
依頼された家や調度品の査定のため。

だけれど、オートマタらしき部品を目にし、少しずつ拾うという目的も増える。

さらに、自分と同じように人に接することを嫌う若き美しい<クレア>が自分に心を開いたことに対して、喜びを感じ、彼女の病気を少しでもよくしようとする。

このあたりから、同情が恋愛感情に変化し、彼女自身をいつしか愛すようになっていく。


ビリーたちは、色々な方法で、ヴァージルを<クレア>の屋敷へ引き寄せる。


<クレア>の屋敷に行き、機械の部品を拾っては、ロバートのお店に行く。

途中、ある程度オートマタができたときに、二人の間で溝ができ、完成途中のオートマタに対して、ヴァージルが小切手をロバートに渡そうとしても、「お金じゃないから」と受け取らない場面がある。

ここで、観る人は、あ、ロバートっていい人じゃないの? と安心してしまう。

が、いやいやそんなことはなかったのです。


オートマタの製作は「お金じゃないから」と言うことはうのみにしてはいけません。

映画の最後までみるとわかるのですが、それだけの金額じゃな足りなくて もっと、莫大のお金 が手に入るから だったのか。

それてとも、ビリーから聞いているヴァージルのあくどい商売の仕方を聞いているので、お金じゃないといっているのか・・

それは、よくわからない。

あのロバートが・・という展開です。


また、最後の競売の仕事をおえて、家に戻るったときに、ヴァージルが目にしたビリーの映画をみたときは、まだピンとこないヴァージル。

そのあと、隠し部屋にはいったら、オートマタがぽつんと置かれているだけで収集した絵がひとつ残らず消えていた。


ここでやっと、<クレア>の家にあったバレエの衣装を着た絵画で、<クレア>からは、自分のお母さんを描いたと聞かされていたことにも気づき、絵の裏をみると、ビリーからの感謝のメッセージ。

これで、自分が騙されていたことがやっとわかるだった。


ヴァージルはビリーやロバートにはめられたことがわかるが、<クレア>についてはどこか信じているところがあるのでしょう。


映画の最後は、<クレア>に教えてもらった、プラハの広場の近くにある、時計仕掛けがたくさんおいてある レストランのDay&Nightへ行く。

そこでは、ヴァージルは二人が座れるテーブルに行き、店員に聞かれてしばらく考えてから、もう一人分のテーブルセッテイングもしてもらっている。


ヴァージルは<クレア>に裏切られたという現実をみつめつつも どこかでは<クレア>が自分のところに戻っているという希望を捨ててはいない。


<クレア>はヴァージルを結果的にだましてしまったことになるけれど、心のどかかにヴァージルに対しての愛情も少しはあると信じ続ける。


これまで人を愛せなかったヴァージル。
<クレア>という女性を知り、かかわりをもったのだったら、やはり<クレア>に執着してしまいそう。

ヴァージルのこれまでの行いを見て、当然の報いだという考えもあるけれど、絵も奪われて、精神的にも陥れられて、ちょっとひどすぎるのではとヴァージルが気の毒にも思う。

まあ、それだけ、ビリーの長年の恨みが深いのでしょう。

映画の最後では、

・老人ホームの場面
・<クレア>の家に行き、家がからっぽで、本物のクレアと会う
・施設で体を鍛える場面
・プラハの中古の家に<クレア>の絵をもって引っ越す場面
・プラハの広場にある デイ&ナイトのレストランでひたすら待つ場面

さまざまなシーンが写ります。

最初見たときは、私は、ヴァージルは最後、老人ホームで余生を送ることになり、それぞれの場面を回想していると思ったのでした。

人の最後は 老人ホームという思い込みがあるので(笑)


でも、クレアの家に行く⇒老人ホーム⇒プラハに住むところを移動する⇒プラハのレストランで<クレア>を待つ こういう順番かなと2回目を見て思いました。

施設から引っ越しするまでの間に、やはり<クレア>が自分のことを愛してくれていたし、愛している と思って そこまで回復できたと思うのです。

映画のラストのレストランでの場面。
このときにヴァージルは手袋ををはめていませんし、人が多いところでひとり座っています。

あれほど潔癖症だったのに、<クレア>のおかげで潔癖症が治っています。

また、映画のBGMも心なしか明るい曲に変っています。


決して、ハッピーエンドとは決して言えませんが、少なくともバッドエンドではないと思いたいです。


長くなりましたので、いったんはこの辺で。

次の記事では、<クレア>のヴァージルへの愛のかけれがあると思った理由などについても書いていこうと思います。