『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』のあらすじ①
『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』のあらすじ② の続きです。
◆1912年5月 アマゾンの未開
アメリカ人のビアンカが古代遺跡のマチュピチュを見つけたという知らせが届く。
が、自分たちの隊は、マレー氏の行動が足手まといになりスケジュールが遅れがちとなる。
川を船で移動しているときに、攻撃されるがパーシーはうまく対応してその部族のもとへ行くも、ただ、マレー氏だけは行かず、食料を渡して残りのメンバーだけ奥へと進み首長に歓迎される。
その種族は、人食い人種ということだったが、それは仲間の魂を体にいれるため ということらしかった。
ここで、パーシーは、整った農作地をみても、やはり古代文明があるはずだと確信したのだった。
古代都市の情報を得ようとすると首長は上流の部族にきくようにと言われ、そのとき、首長から首飾りをもったのだった。
(この首飾りは次のあらすじ④にも出てきます。)
先住民の川で魚をとる方法というのは、薬草によって、一時的に気絶さえて楽々魚を取る。
無駄に魚を殺すことはしない、見たこともない方法に驚きを隠せなかった。
このあとに、再びパーシーたちはマレー氏のもとに向かうが、目にしたのは自分たちの食糧も食べ散らかしてしまったマレー氏だった。また、マレー氏は病にかかり治ることも難しいということもあり、悩んだ末、馬と食料を与えて帰らすのだった。
パーシーは、さらに奥へと少し進んだが、食料を確認したところマレー氏が油をかけて、食料も不足が発覚し、探索は断念することに。
パーシーたちは、マレー氏は無事に帰ることはできないと思い死亡したと報告。
このころちょうどオーストリア皇太子が暗殺され、開戦となる。
帰国後、驚いたことに、マレー氏がすこし前に帰国し一同を集めたた皆の前で、自分はパーシーたちにに見捨てられたと訴えて、パーシーに謝罪を求める。
その謝罪は、パーシーの奥さんの前も謝罪してほしいという内容だった。
このとき、パーシーは「わかった、謝罪する」というも、それは、部下に対してマレー氏を同行されたことに対しての詫びであり、その後、その後、地理学教会をやめたのだった。
今度は戦争へ行くと、自分のこどもたちに伝えるが、成長した長男のジャックは「栄光のために、探検や戦争を優先していて、おかあさんや自分たちを捨てた」としてパーシーに反発。
パーシーは息子に怒り、息子とはそのまま喧嘩したまま別れ、戦争へ向かうのだった。
※マレー氏について
生物学者で探検家のジェームズ・マレー。(1865年7月21日 - 1914年2月)
1911年、46歳のとき、マレーは探検家パーシー・フォーセット(英語版)、ヘンリー・コスティン (Henry Costin)、ヘンリー・マンレイ (Henry Manley) とともに、ペルーとボリビアの国境地帯のジャングルを探検と地図作成を目指した。しかし、マレーは熱帯の厳しさに適応することができず、事の成り行きは芳しくなかった。結局、フォーセットはマレーを遠征隊から外すことになったが、それほど彼の状態は悪かった。しばらくの間マレーは身を隠し、タンボパタ(英語版)のとある家で体調の回復を待った。1912年に、彼はラパスに達したが、そこで自分が死んだものと思われていたことを知った。
フォーセットの下での酷い扱いに怒っていたマレーは、訴えを起こそうとしたが、王立地理学会の友人たちがそのようなことをしないよう説得した。
1913年6月、マレーはカナダの南極科学遠征隊に加わり、カーラック(英語版)の不運な最後の航海(英語版)に海洋学者として乗船した。1913年8月、船は南極海で氷に閉ざされた。マレーは、船長に対して反乱を起こし、他の3人とともに船を離れて氷上を出発した。彼ら4人のその後については何もわかっていない。
マレーは、おそらくは1914年2月に、南極で死んだものと考えられている。~Wikipedia~
◆その2年後
フランスのソンム川でのドイツ軍との戦線
マレー氏がパーシーに見捨てられたと訴えていたが、パーシーたちの正当性は、別の出来事により明らかになったということがわかった。
戦争中、占い師がきて、パーシーもみてもらう。
(このときも、まだ少佐のまま)
パーシーは占い師に「戦下のため どんなお告げでもほしい」というと
占い師は「あなたが探検家?」と。
パーシー「探検家だった」と過去形で答える。
占い師がいうには、
「想像しているのは密林?密林にいるところは思い描いている?そこに立っている自分の姿は見える?念じてみてみなさい」と
パーシーは目を閉じ「見てる」と答えると占い師は「その光景は忘れてはならない。あなたが探し求めているものは想像よりはるかに壮大だ。卓越した民が暮らす広大な密林地」「この地を見つけるまで、魂は安らぎを得ない。それはあなたの運命だから。」「見つけて世界に光をもたらしなさい」と告げられた。
パーシーは、「世界は自らに火をつけた。消すにはほかの他の光を見せてやらねば・・」と戦争真っ只中にも拘わらず、こんなやりとりをしていたのだった。
◆1916年9月26日
パーシーは兵士たちを集めて皆の前で語り掛ける。
「若い頃の俺は、どんなこともやった。地位のために。それが男の価値だと信じていた」「だが、探検で学んだ。そんな価値は幻影にすぎない。」「今ならわかる。戦いとは愛する人たちのためのものだ」「だが、今日は、お互いにために戦おう」「幸運を!」と言い、ドイツ軍勢へ向けて突進していく。
このときにパーシーは小さな紙を手にするのだが、ジャングルの風景が書かれた絵だった。
これから敵陣へ突入するときでさえも、古代都市のことを思い浮かべていたのだ。
勇敢にドイツ軍に突進する中、探検に一緒にいった部下マンリーも死亡してしまい、パーシーもこの時倒れるのだった。
パーシーが目覚めたのは病院だったが毒ガスにより視力が一時的に落ちてしまい、医者からは探検は無理だと告げられる。
このときに、退却しなかった隊はパーシーたちだけだったらしく、その勇気をたたえられ、中佐へと昇進。
パーシーの頭にあるのは、ジャングルだった。
息子のジャックは、父親がここまでしても 中佐にしか昇進されないことに怒りを抱くも、このとき二人のわだかまりが消えてくのだった。
※参考※
映画の原作となる『ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え』(NHK出版)