ここまでのストーリー
『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』あらすじ①
『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』あらすじ②
『ロスト・シティZ 失われた黄金都市』あらすじ③
◆1923年 イングランドのストークキャノン
パーシー家族は穏やかな日々を過ごしていた。
そこへパーシー家族を取材する記事がやってきて、「あなたを機に、アメリカでも探検ブームとなり、ライス博士が飛行機で南米へ向かっている」という話を聞かされる。
この記者は、息子ジョンが頼んだもので、このときには大尉に昇進していたのだった。
息子が野兎をうまくしとめたことをほめ、グアラニ族の首長からもらった首飾りを息子に渡す。すると、息子は「今も ゼットを信じている? 信じているのとなら、戻ろう。自分もお父さんと見つけることにした」と。
パーシーは、 もう自分年をとったからと探検にいくことを断ると、息子は、自分よりも力もあるし、視力が回復したから問題ない と、そして、「アメリカ人が武装して先住民が危ないよ。先に見つけよう」というのだった。
(パーシーが先住民とも友好関を結びながら、先住民に対しても敬意を払いながら探検していたことがわかりますね・・)
その後、母親を息子が説得する。
部下のコスティンを誘うが、自分は以前はひとり身だったが、今は妻も幼い子もいるので、Zの存在は信じているが「今更さがすことはできない。そこまで価値があるかどうか」と言われたパーシーだった。
◆1924年12月3日ロンドン
探検隊の記者会見。
探検期間は3年で、資金は北米新聞連合会、ロックフェラー、王立地理協会が出してくれることになった。
探検についてもアメリカの鼻をあかしてやろう と意気込むパーシーだった。
このとき、パーシーは、地理協会の男性に、自分が20年間つかったコンパスを見せる。「もしも、自分がZから戻らないと決めた場合は、あなたに贈ります。」と。地理協会からパーシーは、名誉ある創立メダルを手渡されたのだった。
4000万人に見送られ、ブラジルに向けていよいよ出発。
◆1925年4月
以前、オペラの舞台もある農場に向かうが、そこはすでに廃れていたのだった。
出会った先住民に話しを聞くと、奥には洞窟があると聞かされ、妻への手紙の中で、他の隊員はみんな帰らせること、そして、この手紙がZに向かう最後の手紙になること、zへは、ひと月ぐらいでたどりつけるといういう内容で必ず成功するからと手紙に記したのだった。
パーシーは、その洞窟がZの入り口だろうと期待に胸を膨らませていたのだった。
ところが、ジャングルを奥へいくと ある種族につかまり パーシーが友好的な態度を示すが、息子とともに捉えられてしまった。
種族の長老たちは、2人は敵でも味方でもないないともいわれて、怪しげな薬を飲まされてしまう。
死が差し迫っていることを知る息子にパーシーは「自分たちは人にはできない旅をした」と告げる。
ラストではパーシーが空へと手を伸ばす。そのときパーシーの頭にあるのは、妻のニーナが書いた手紙の手を伸せば天国は近いという内容だった。
(でも、もしかしたら、zを幻影としてみていたのかもしれないとも個人的には思ったし、そうであってほしいと・・・)
その後時は流れ、奥さんのニーナはあるブラジル人に出会う。
そのブラジル人から聞いた話によると、「パーシーとジョンの二人は現地に住みzにたどり着いたんです」
それに対して、協会の人は、「もう何十年も捜索したのだからあきらめなさい」と告げる・
ニーナは気丈に見せていたが、この言葉を聴き、表情が崩れ頬を涙がつたっていく。
「心が痛くてたまりません」
そういいながらブラジル人から受け取ったものを ニーナは「あなたに渡すように言われたもの」としてコンパスを協会の人に渡す。
それは、まさに「もし自分たちがzから戻らないと決めたら渡す」とパーシーに言われていたココンパスだった。
~最後の字幕の言葉~
2人の捜索は続いたが、1954年に生還を信じ続けたニーナが死去。
パーシー・フォーセットの仮説は百年近く一笑にふされた。
しかし、21世紀の初頭、アマゾンのジャングルに道路網や農耕などの遺跡などが見つかった。
うち一つは、彼が 「z」と読んだ場所だった。
※パーシー・フォーセットの知りたいあれこれ※
・パーシー・フォーセットの探検の回数は、映画では、測量以外に2回だけのように思うかもしれませんが、
実際には、1906年から1924年の間に7回遠征していて、彼は贈り物、忍耐、そして礼儀正しい振る舞いを通して、地元の人々とほとんど友好的だったようだ。
・1925年の探検は、長男のジャックの他に、ジャックの友人の1人であるローリーリメルも一緒で、1925年5月29日、フォーセットが妻へのネイティブランナーによる手紙で、ジャックとローリーだけで未踏の領域に行く準備ができていると残している。
・彼らが殺害されたという証拠はなく、彼らがブラジルのジャングルで自然な原因で亡くなった可能性が高い。
・1927年に、フォーセットの銘板がインディアンの部族で発見されています。
1933年6月、フォーセットのコンパスは、、マニスグロッソのバイカンインディアンの近くでアニセトボテルホ大佐によって発見されましたが、ネームプレートは5年前のフォーセットの遠征からのものであり、おそらくそのインディアン部族の首長への贈り物として与えられたものと考えられています。彼が最後の旅でジャングルに入る前に、コンパスは置き去りにされていたことが証明されました。
その後も探され、何度か人骨も見つかりましたが、彼らの骨ではないことだけは確認されています。
~Wikipedia~
※参考※
映画の原作となる『ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え』(NHK出版)