【日本でも公開予定の映画】『マリアの国(マリアの地球)』<ネタバレなし>の あらすじ ・キャスト・感想

こんにちは 映画案内人 もすりんです。

スペイン映画を探していたら『マリアの国(マリアの地球)』を発見。

クリスチャンではなくとも心が疲れたときは、こういう映画もいいですよね~

コロナ禍によるいくつかの劇場休館のため、当面は2020年12月25日2021年1月6日、そして1月12日に、2016年度ワールドユースデーに派遣された東京管区の青年団が有志で制作した日本語版をオンライン公開することになったそうです。本編の後には、特別コンテンツとして、制作者たちの対談コーナーもあるとのこと(^^♪   興味のある方はコチラを⇒https://maria-no-chikyuu.jp/

Nさま、お知らせをありがとうございました!

 

■映画『マリアの国』のネタバレなしのあらすじ

◆ネットフリックスでのあらすじ

聖母マリアとのつながりや神秘的な経験を主張する人々へ、弁護士がインタビュー。

“悪魔の代弁者”が聞き出す、興味深い証言の数々。

そこから導かれるものとは?

◆Wikipediaでのあらすじ

秘密組織調査班の情報部員(ホアン=マヌエル・コテロ)は、上司から、“聖母マリアとの不思議な体験によってキリスト教に入信し、世界中に信仰を宣べ伝えるようになった人々”を調査するという任務を与えられる。

その人々の中には、ジョン・リック・ミラー、元女優でモデルのアマダ=ロサ・ペレス、元ダンサーのロラ・ファラナといった著名人もいる。

JM隊員こと“悪魔の代弁者”は、彼らが精神疾患をもっているのか、ほらを吹いているのか、それとも真実を述べているかどうかを確かめるべく、世界各国へ取材に向かう。

彼らと接しているうちに、JM隊員の心にもある変化が起こるようになる。

<映画情報>
製作国:2013年 スペイン
上映時間:101分
原題:Tierra de Maria(スペイン語)英題:Mary’s Land
監督:ホアン=マヌエル・コテロ
脚本:ホアン=マヌエル・コテロ/アレクシス・マルティネス

■映画『マリアの国(マリアの地球)』の登場人物/キャスト

【悪魔の代弁者(JM隊員)】

ホアン=マヌエル・コテロ (Juan Manuel Cotelo)
彼自身が監督・脚本で主演を務める。
スペイン マドリード生まれ。

JM隊員がボスの支持を受けて、聖母マリアについて実際に体験された方へ、直接インタビューし、調査を開始するという形で進めていきます。

【ボス】

悪魔の代弁者 JM のボス
カルメン・ロサ( Carmen Losa)
※あまり出番はありません。

■映画『マリアの国(マリアの地球)』の感想

この映画は、キリストの生誕にまつわる話、どうしてサタンが存在するようになったのか、など 映画の中で物語形式で簡単に説明してくれているところもありましたので、キリスト教に詳しくない人にでも 興味がもてると思いました。

この映画のメインは、実際に、マリア様から言葉をもらい 救われた人たちの話です。

インタビュー形式で進んでいきますが、少なくともこの人達が、マリア様について体験したことを話しているときの表情からしても、嘘とは思えないので、それも本当に奇跡だと感じさせます。

でも、だからといって、わたしも急にマリア様の存在を信じるかといいったらそれはまたそれは違うかな。

言えることは、マリア様を「信じる」とか「信じない」ということではなく、ただ、お話をしてくれた人たちは、「マリア様に救われたと思っている」こと。

そういう事実だけ十分だと思いました。
「マリア様に救われたと思っている」人たちにとっては、それは真実で、幸せだと感じているから、人がとやかく言うことでもないから。


あとは、フランシスコという名の神父さんがボランティアで助けるときには、その人の過去は一切聞かないで受け入れると話されていて、 これが、<無条件の愛>なのだそうです。

『ファザー・フィギア』の映画でも、主人公たちのお母さんのヘレンも、ボランティア活動をするときには、相手に何があったのかなど、聞かなかったということがずっと頭に残っていました。
<無条件の愛>について 知る機会にもなりました。


また、映画の冒頭で、今の人間は忙しくなりすぎて、機械のように働いている というフレーズがあったけれど、本当にそう・・。

技術が進んでいるのに、結局、今度は機械に依存し、かえって振り回されて忙しくなっているという皮肉。

静かに心を見つめる時間をもって、自分も家族も周りの人も、そして、世界の平和を願いたいものです。


ここでは、祈りの対象は「マリア様」としているが、日本人にとっては、それが神様でも観音様でもご先祖さまでも構わないと思う。

もちろん、守護霊とかハイヤーセルフとか潜在意識とか、もう一人の自分とかでも。

見えない何かからも自分が愛されているという感覚があると、心から安心感に包まれて、幸せを感じる。
こういう感覚を思い起こさせるには、とてもいい映画でした。

何を信じるのかは、人に強制するものではないし、強制されるものではない。

この映画の製作者は、マリア様を信じる立場に立っていることを忘れてはならない。
自分の気持ちを安定させるには、こういう方法もあるよ という参考になる。

 

※今でも巡礼者が多いメジュゴリエ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)については、また別に記事したいと思っています。

■映画『マリアの国(マリアの地球)』のタイトル評


Wikipediaでは、 映画のタイトルが、『マリアの地球』 となっていましたが、
ネットフリックスでは、『マリアの国』になっています。

映画を見ていくと、国 という言葉は、私にとっては、よそとの境界がある<国> というイメージがあるため、映画の趣旨とはそぐあわないような気がしています。

なので、Wikipedia にあるように <地球> のほうが、もう少し広く分け隔てのない世界観を感じます。

元々の原題は、スペイン語の 『Tierra de Maria』

Tierra は<地球>を意味するので、Wikipedia では、そのまま『マリアの地球』にし、ネットフリックスでの邦題は、英語の 『Mary’s Land』 の Land そのまま、訳して <国>したのでしょう。

ランド という日本語には、ディズニーランド などをイメージさせると思うので、そのまま、『マリアのランド 』とするのも変な感じがします(笑)

個人的には、『マリアの〇〇』では、どうも タイトルだけからすると、まるで マリア様に支配されているように感じてしまいますが、映画を見ると、そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなりました。

 

Wikipediaにもタイトルについて解説がありましたので参考に載せておきます。

原題は「Tierra de Maria(直訳:マリアの地、マリアの土地、マリアの地球)」だが、アメリカ公開用に用意されたタイトルは、「Mary’s Land(直訳:マリアの国)」だった。

アメリカ公開に先立って、本編でも「Mary’s Land」のタイトルが出てくるが、これは英訳する際に誤訳されたもので、一部ファンで「マリアの国とは、御出現が続いているメジュゴリエ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のことか」という誤解が生じた。

公開当時のホアン=マヌエル・コテロのコメントによると、「Tierraとは、一部の地域や特定の国を指しているのではなく、惑星的な意味合いで使っている。この作品が俎上に載せたテーマは、マリアが全人類の母であるか否か。全人類の母だということは、地球全体がマリアの地である」と表明している。

日本公開にあたって、原題のメッセージを尊重し、またスタッフからの要望通り、「マリアの地球」を公式タイトルとすることとなった。

追記)

さて、この映画『マリアの国(マリアの地球)』は、日本でも2019年の8月15日から公開となっていましたが、どうやらスケジュール上の問題で延期となり、現在は未定へと変更になったようです(2019年7月現在)

平和を祈る気持ちについては、広がってほしいと切に願っています。

この映画は、自分の気持ちを穏やかにさせたいときに、観るようにしたいと思っています。