映画『ファーザー・フィギュア』のプチ解説<ちょっとだけネタばれ注意>

前の記事のあらすじでは、ネタばれしないように書いていますが、こちらのプチ解説ではネタバレなしでは書けませんので・・。

・『ファーザー・フィギュア』をまだ観ていない方はコチラ
・『ファーザー・フィギュア』のあらすじとキャストとタイトル評はコチラ

■映画『ファーザー・フィギュア』のプチ解説

映画『ファーザー・フィギュア』のタイトルを目にしたときはドウイウイミ? と気になり、観ることに。

映画を観終わったときには、心地よく ほっこりしつつも、さわやか~な気持ちになります。


ピーター(エド・ヘルムズ)とカイル(オーウェン・ウィルソン)の母親、ヘレン(グレン・クローズ)はなぜ息子たちに『父親は誰だかわからない』と言ったのか、そこがとても深くて感動してしまいます。

『父親は誰だかわからない』という言葉だけを 聞くと、そこに愛を感じる人はいないと思います。
でも、その母親のその時の状況やどうしてそうなったのかを知ると、もう見え方がすっかり変わってしまい、その女性が慈愛に満ち溢れた女性に見えてくるのです。

人は、普段 周りの人や物事を 表面的にしか見ていませんし、その人を深く知ろうともしません。

今回の映画のように、いろいろと話を聞いていくと、自分のその人に対する見方が変化していきます。

自分がこの映画を通して、見方の変化 が体感として、 とても面白く味わえます。


また、長男のピーターの性格は短気で神経質。
でも、弟のカイルにとってみれが、兄のピーターがが父親代わり。

シングルマザーの場合、母親がお母さんであり、かつ、お父さんの役をすることもあるけれど、この映画の中では、長男のピートが無意識のうちに父親的な、厳しい父親像を演じていたことがわかってきます。

だからこそ、長男のピーターは、父親不在したのは母親のせい と言って、怒っていますが、弟のカイルはというと、父親という役割をピーターに見出していたのですから、同じ家に住んで暮らしていても、状況が違ってきます。

同じ双子であっても、父親 という存在対する欠乏感が全く違ってきます。

長男のピーターは弟のカイルと一緒に、自分の父親に会いに行くという旅により、最初の父親と思われた、テリー・ブラッドショーと一緒に会話したり、ビーチでまるで子どものように無邪気に遊びます。

このときのピーターの顔は、気難しい表情から一転し本当にさわやかでした。

ですが、残念なことに、話していくうちに、辻褄が合わなくなり、そのあとに、彼が父親でないことがわかり、またいつもの険しい表情に戻ってしまいます。


旅を通して、疎遠だった弟が、どうして楽観的でいられたのか、なぜ自分がこういう性格になったのか ということも ピーター自身も自分で理解し、その謎も解けていきます。

さらに弟の軽~いチャラチャラした性格にも刺激を受けて、自分も少しずつ心の扉をあけて解放しいくさま。

この映画は、たんに父親捜しの映画ではなく、一人の男性(ピーター)の心の開放のストーリーと、母親の深い愛が描かれています。


最後はピーターとカイルの二人が一緒にビジネスを展開させていきますし、素敵な女性と巡り合って一緒にいるときの笑顔のピートがとっても印象的。


家族の中でピーターが一番父親からの愛を渇望し、それを父親という存在を探し出し、 その人から満たしてもらおうとしましたが、そうでなくても、愛する対象の女性が現れて、彼女からも愛をもらったり。

さらには、育ての母親からの大きな愛を深く感じます。

父親不在により欠乏していたと思い込んでいたよりも、遥かに上まるような大きな愛をやっと素直に受け取り、心も納得したのでしょう。

もう、これでお父さんという役割を求める必要もなくなりました。

これまでいろいろな父親と思われる何人かに会いますが、それはまるで、父親というフィギアのような存在です。

【ダディ】 ・フィギアではなく、生物学的な父親である【ファーザー】を意図する、ファーザー・フィギアというタイトルという点も見逃せません。
(原題では、フィギアズ ですから、複数形ですが・・)

結局、ピーターとカイルにとっては、父親の役割を果たすフィギアを探し求める旅が終わります。

これからは、カイルにも子供が生まれますから、二人とも父親としての役割を演じていくことになります。
ピーターは、子供から疎んじられていましたが、ファーザーではなく、ダディと呼ばれるような、素敵なパパになりそうです^^

私がこの映画を選んだのも、映画の中のカイルの口癖を借りれば、『宇宙に従って』のことなのかもしれませんね・・(笑)