【英国の豪邸を舞台にした映像も美しい映画】『日の名残り』あらすじ ・キャスト・感想

原作本では執事のスティーヴンスの目線で書かれていますが、この映画は本とは違って、客観的な立場から描かれています。

本を読んだ方で映画をまだ見ていないかたは、映画をぜひ!
そして、映画は見たけれど、原作本はまだという方には、本を読むことをお勧めしたくなる作品です。

映画を見れば見るほど、本も読めば読むほど味わい深くなります。


1993年の映画 興行収入を調べたところ、50位内にも入ってもいませんでした。
この年の1位は『ジュラシック・パーク』で納得ですが・・・
気になる50位は『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』で、興行収入が3200万ドル。
『日の名残り』の興行収入は、23,237,911ドルなので、まだ下のようです。

『日の名残り』のような格調高い名作は、興行収入に関係なく、時を経ても後世に残したい、年を重ねるごとに良さがわかる作品の1本です。

ちなみに、50位となった『エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事』も貴族社会を舞台に描かれていて、印象に残る作品なので、機会があれば、こちらもぜひ~

■映画『日の名残り』のネタバレなしのあらすじ

貴族の屋敷で長年尽くしてきた老執事。主人の死をきっかけに、ナチ擁護派の主人の活動に心を痛めながらも目を背けた日々と、自らの半生を振り返る。(Netflix)


<映画情報>
製作国/公開:1993年 イギリス
上映時間:134分
原題:The Remains of the Day
監督:ジェームズ・アイヴォリー
脚本:ルース・プラワー・ジャブバーラ /ハロルド・ピンター(クレジット無し)
日本劇場公開:1994年

原作本:日の名残り(著者:カズオ・イシグロ)

※ダーリントン・ホールについて※
屋敷の外観は、世界遺産の街バースに近いディラム・パークの邸宅

■映画『日の名残り』の主な登場人物/キャスト

【ジェームズ・スティーヴンス】・・・執事

アンソニー・ホプキンス (Sir Anthony Hopkins)
1937年ウェールズ ポート・タルボット出身/国籍イギリス・アメリカの俳優、作曲家、画家
『日の名残り』で、英国アカデミー賞とロサンゼルス映画批評家協会賞の主演男優賞受賞

※参考※
1991年『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター役
1992年『ハワーズ・エンド』ヘンリー・J・ウィルコックス役
1995年『レジェンド・オブ・フォール 果てしなき想い』ウィリアム・ラドロー役
2010年『恋のロンドン狂騒曲』アルフィ・シェプリッジ役
2014年『ノア 約束の舟』のメトセラ役(ノアの祖父)
2019年『2人のローマ教皇』ベネディクト16世役
その他多数出演

【ミス・ケントン】・・・ハウスキーパー

デイム・エマ・トンプソン(Dame Emma Thompson)
1959年イングランド生まれの女優、脚本家
ケンブリッジ大学卒業の才女

※参考※
1995年『いつか晴れた日に』エリノア・ダッシュウッド役
2005年『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』のナニー・マクフィー役で脚本にも携わる
2006年『主人公は僕だった』のカレン・アイフル役
2015年『二ツ星の料理人』のロッシルド医師役
2016年『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』のドクター・ローリングス役
2017年『マイヤーウィッツ家の人々 (改訂版)』のモリーン役
2018年『ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲』のイギリス首相役
『ハリー・ポッター』シリーズのシビル・トレローニー役
その他多数出演

【ダーリントン卿】・・・ダーリントン・ホールの主人

ジェームズ・フォックス(James Fox)
1939年ロンドン生まれの俳優

子役としていくつかの作品に出演、Central School of Speech and Dramaで演技を学び、1960年代に『長距離ランナーの孤独』や『裸足のイサドラ』などに出演して人気を博す。しかし、父の死の後、1970年から1979年まで俳優業を休業し、福音派のクリスチャンとして宣教活動に専念するようになる。1980年に映画界に復帰。1973年に結婚した妻との間に4人の息子と一人の娘がいる。(Wikipedia)

一人の人とずっと結婚しているというのは俳優にしては珍しいのでは・・・、と
好感度アップ💛

※参考※
2004年『名探偵ポワロ』第9話〈クラブのキング〉に出演
2009年『シャーロック・ホームズ』のトマス・ロザラム卿役
2011年『ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋』のジョージ5世役
↑この作品は歌手、女優のマドンナの監督による作品(2作目)
風変わりな、という印象でした。
2013年『ダウントン・アビー』第4シリーズに出演

【ルイス】・・・アメリカ人外交官

クリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)
1952年アメリカ生まれ。2004年没

※参考※
『スーパーマン』シリーズのスーパーマン / クラーク・ケント役
1980年『ある日どこかで』のリチャード・コリアー役

1995年5月27日、バージニア州シャーロッツヴィルで乗馬競争中に落馬し、脊髄損傷を起こして首から下が麻痺した。そのため映画界から離れ、リハビリテーションに専念する。また、妻のディナとともにニュージャージー州ショートヒルで「クリストファー・アンド・ディナ・リーヴ麻痺資源センター」を開設し、身体の麻痺に苦しむ人たちに対してより独立して生きるよう指導した。ちなみに、落馬事故前に主演した最後の作品は『光る眼』である。(Wikipedia)

【ウィリアム・スティーヴンス】・・・スティーヴンスの父親

ピーター・ヴォーン(Peter Vaughan)
1923年イングランド生まれデ2016年没

※参考※
『日の名残り』への映画の中では75歳の訳でしたが、70歳頃の出演。
1998年『レ・ミゼラブル』 の司教役。司教の行動が主人公のジャン・バルジャンの人生を変えるという大切な役です。
2004年『ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方 』の主人公の父親のビル役
2007年『ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式』のアルフィー叔父さん役

【カーディナル】・・・(ダーリントン卿が名付け親になった青年)

ヒュー・グラント(Hugh Grant)
1960年ロンドン生まれの俳優
オックスフォード大学で英文学を専攻

※参考※
1995年『いつか晴れた日に』のエドワード・C・フェラーズ役
1999年『ノッティングヒルの恋人』のウィリアム・タツカー役
2001年『ブリジット・ジョーンズの日記』ダニエル・クリーヴァー役
2002年『トゥー・ウィークス・ノーティス』ジョージ・ウェイド役
2002年『アバウト・ア・ボーイ』ウィル・フリーマン役
2003年『ラブ・アクチュアリー』イギリス首相役
2004年『2004 ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』ダニエル・クリーヴァー役
2009年『噂のモーガン夫妻』ポール・モーガン役
2012年『ザ・パイレーツ! バンド・オブ・ミスフィッツ』海賊船長(声)
2014年『Re:LIFE!リライフ!』のキース・マイケルズ役
2016年『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』シンクレア役
2017年『パディントン2』のフェニックス・ブキャナン役
↑ヒュー・グラント好きなので、ついつい多くなってしまいます♡

【医師のカーライル】・・・町のパブからスティーブンスを車で送った男性

ピップ・トレンス (Pip Torrens)
1960年イギリス生まれの俳優

※参考※
2005年の『プライドと偏見』ネザーフィールドのお屋敷の執事役
2011年『『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』のイアン・ギルモア役
2015~2017年のテレビドラマの『ベルサイユ』のカッセル公爵役
2016年~2019年のテレビドラマ『ザ・
クラウン』のトミーラッセル役(→気づきませんでした。)
名探偵ポワロシリーズの『スペイン櫃の秘密』や『満潮に乗って』にも出演

あるコメディ映画でパブの店主だったのですが、その映画のタイトルがわからず。モヤモヤ継続中(笑)
あまり主役級ではないものの、ホントに多くの映画やドラマに出演しています。

 

■映画『日の名残り』の感想<ネタばれ注意>

初めに画面に映し出されるダーリントン・ホールまでの道と、エマ・トンプソンが手紙を読むナレーション。
いかにも英国という雰囲気が耳からも感じられますが、すぐさま次のテント内のオークションの場面になり、貴族の優雅さが消えていきます。


この映画では、名門貴族、ダーリントン家に仕えた執事のスティーブンスの人生を中心に現在と20年前の過去とを交錯させながらストーリーが進行していきます。

この20年ほどという年月は、通常の20年ではなく、その間には多くの人々の生活や人生に多大な影響や変化をもたらした戦争があり、栄華を誇っていたイギリス貴族を取り巻く環境も激変し没落していくのですが、スティーブンスが仕えてきたダーリントン卿の置かれた立場も同じ運命をたどっていきます。

ダーリントン卿の、なんとかドイツと平和的に交渉を進めたいという行動には、戦争で敵味方となったものの戦後は友好関係を築いていこうという、自分の友人との約束があった。その友人は自殺してしまったため、余計になんとか平和をという願いが強い。
が、結局はダーリントン卿の「高貴な善意」が政治的に利用されてしまい、挙句の果ては歴史の結果からすると、世間から非難を浴びてしまいます。
名誉棄損を訴え勝利を信じていたにもかかわらず、敗訴。


ヒューグラント扮するカーディナルがどういう行動をとったのかは、映画からははっきりはわかりませんが、新聞社に勤めるカーディナルは、秘密の会合の当日、その会合があることを聞きつけてダーリントン・ホールにやってきます。そこで、誰が屋敷に訪問したかを確かめているのですから、参加者の確認ができたのは、会合のメンバー以外ではカーディナルだけ。
ということからも、この秘密の会合が行われたことが世間に暴露されるに至ったのは、直接ではなくとも、カーディナルの行動によるところが大きいのでしょう。

とはいえ、映画の中では、カーディナルのせいとは決して言っていませんし、ダーリントン卿も、彼のことを疑わずに死を迎えたのは(そう思いたいです)、不幸中の幸いと言えます。

なぜなら、カーディナルは、ダーリントン卿の親友の息子さんということで、親代わりでとても気にかけている存在だったから。

こちらから見ると、カーディナルが恩義のある人を裏切ったともいえる行動ですが、(もし秘密の会議のことをバラしたとしたなら)本人としては、(映画の中でも言っていますが)愛するダーリントン卿の目を覚ます機会になればという真剣な気持ちと、彼自身がスクープ記事を書きたいという、よこしまな気持ち。(それも若さゆえだったかもしれません。)

カーディナルも戦争で亡くなったということですが、もし彼が生きて、世間から批難を浴びるダーリントン卿を目にしていたら、とても耐えられなかったでしょう。


気になったのは、Netflixのサイトから引用したあらすじ。
そこには「ナチ擁護派の主人の活動に心を痛めながらも目を背けた日々」と、スティーブンスのことを書いていますが、映画を見ると、果たしてそうだったのか?と疑問が生じます。

本を改めて読み返さないと、そのあたりのことが確認できませんが、映画を見る限り、心を痛めたのは、「ナチ擁護派の主人の活動」というよりも、主人である「ダーリントン卿」が後悔している様子や「ダーリントン卿」が批判されていることに心を痛めているように思えるからです。
当時はも、名誉棄損の裁判からもわかるように「ダーリントン卿」がは、自分が正しい行動をしたと信じて疑わなかったから。
「ダーリントン卿」が自分が正しいと信じていたように、スティーブンスもダーリントン卿の行動を信じて疑わなかったけれど、もう少し本当のことを知っていたらという思いもあったのだと思います。

なぜなら、スティーブンスは執事というものは、主人がこっちと言ったら、そういう気持ちいなって使えるということが、執事の立場であり、このことが心底しみついているような人ですから。

お店の店主や村のパブの場面では「ダーリントン卿」に仕えことはいったんは隠します。
その前にお店屋さんでも嘘をつきますが。
スティーブンスが「ダーリントン卿」のことを【知らない】と答えるのは、捕まったイエスのことを「知らない」と言った使徒一人のペテロがいうのとダブります。

その後、ペテロのことはみなさんが知ると通りとなりますが、スティーブンスも、その後、車で送ってくれた医師のカーライルには、自分が嘘をついていた苦しさから真実を伝えますが、ここで「ダーリントン卿」へ強い尊敬と忠誠心がうかがい知ることができ、嘘を押し通せない実直な人だとわかります。

でも、ここで、医師のカーライルから「あなたの気持ちはどうなの?」とスティーブンスが聞かれ、答えに窮し、ダーリントン卿も後悔していたし、自分のそのために旅に出ているという。(これは、本音ではなく、その人の顔色をみていった言葉と思えます)

ダーリントンハウスを受け継いだアメリカ人のルイス元下院議員は、くしくも、ダーリントン卿や、非公式の会議に参加して政治を語っている人たちのことを「アマチュア」だと非難した当の本人。

自分の尊敬する主のことを非難した主に、スティーブンは変わらず淡々と仕えるのですが、1回目に映画をみたときは、新しい主人が、批判したルイスだということがわかりませんでした。(ここは原作本ではルイスではありませんが)

映画では、小説とは違う新しい主人にしたのは、大胆な脚本と思うのですが、何かの意図があったのでしょう。とても気になりますが・・・

ベン(ミス・ケントンの旦那となる)が執事の仕事を辞めることをケントンに語っていましが、新しい主人が、自分の元の主人を真っ向から批判した人であっても、態度を変えずに仕えるスティーブンスとを対比させています。

映画を繰り返し観ると、いろいろなところに伏線が張り巡らされていることにだんだんと気づいていきます。(そこが面白いです!)

例えば、スティーブンスのお父さんが、1939年に非公式会議の事前打ち合わせをしているところへお茶を運ぼうとして転ぶのですが、これは重要な会議がこけるということの暗示しています。
そして、スティーブンスにとっては、自分の父親がどれほど年齢を重ねていても、自分の父親からは学ぶところがある執事の鑑だと思うのですが、実際では、そうないことがだんだんわかってきます。
片づけ忘れが重なり、とうとう仕事中に倒れてしまいます。
これも、これまでの古い体質の貴族社会が没落していく様子と重なっていくようです。

ミス・ケントンがスティーブンスにお父さんの仕事を減らすように忠告しても聞き入れず、自分のお父さんを執事として誇りに思い、尊敬しきっているため、現実や、現実の変化に気づくことができない。
ことが起こってから、やっと理解していきます。


ミス・ケントンとスティーブンスの淡い静かな恋愛がこの映画のテーマにもなっているのですが、スティーブンスの気持ちは、映画からだけではとても分かりづらいと思うし、ミス・ケントン側の気持ちも、結婚することをスティーブンスに伝えた後に泣いていることから、わかるぐらいで、彼女の気持ちも私にはわかりづららかったです。

ところが、2回目に映画を見ると、チャーリーは、ミス・ケントンが好きな人の部屋にお花を摘んで飾っている・・とちゃんと気づいていて、そのセリフでさりげなく映画を観ているこちらに教えてくれていたのでした。

チャーリーの恋人である若いメイドのリジーはそのことに全く気づいていなかったようですが、若いリジーは自分の恋愛に頭がいっぱいな状態なので、周りがまったく見えていないだけだったのでしょう。

チャーリーは、ミス・ケントンのことを客観的に冷静にみているのですが、当の本人のスティーブンスはそんなミス・ケントンの気持ちはわかっているのか、わからないのか、映画の中では、本当につかみづらいのです。

ミス・ケントンは、自分が結婚するので、仕事を辞めることをスティーブンスに伝えると、スティーブンスが多少動揺するも、仕事人間の彼のことだから、仕事上で欠員がでるため困っているだけのようにも見えてしまうのです。

が、うっすらでもミス・ケントンに気持ちはあったのかな~ということを感じさせるような気がしたのは、戸惑いや無理に笑顔をつくっている様子、ワインを割ったときに見せた怒り。
あとは、ベンとの会話で、ミス・ケントンは自分の支えになっていると言っていたり、リジーの面接のときに、ミス・ケントンのことをかけがえのない存在と直接伝えているものの仕事でという風に言いかえて決まりがわるそうにしたり・・

そのあと、部屋向かうと廊下から彼女の泣き声が漏れ聞こえ、慰めるかと思いきや、メイドのことを注意するだけで、彼女の部屋を出ていきます。
「え?それだけ? ほかに言うことないと」と思わせます。スティーブンス自身も自分の本当の、奥底に潜む気持ちが正体に気づきたくなかったのでしょうか。

あと気になったのは、スティーヴンスが「自分の気持ちは?」と聞かれる場面。
村の宿や、ダーリントンハウスに訪れた客人や、カーディナルに聞かれても、執事の品格たるものを意識して決して自分の本音は決して語りません。(とういうか、長年にわたり本音を押し抑え込んで生きてきたため、自分の本当の気持ちがわからなくなって、うまく表現できなくなっている可能性もあると思いますが)

新しい主のルイスも外の世界をみることを進めてくれていて、ミス・ケントン(結婚して、ミセス・ベン)に会いにいくことによって、屋敷の外へ行くのですが、ここから自分が知らなかった世界を少しずつ垣間見ることになっていきます。

屋敷の中は旧態依然だけれど、外の世界はもう違う。
そんなギャップを少なからず感じているスティーヴンス。

映画の終わりの桟橋での場面のこと。

ミセス・ベン(=ミス・ケントン)が「多くの人が日暮れ時を楽しみにしている」と言っていますが、彼女自身は、日暮れ時を楽しいとはとらえておらず、今は自分にとっては、楽しい若い頃(昼)を過ぎた人生の日暮れだと感じているようで、やっぱりお屋敷での時が、黄金の時だったという気持ちを共有したのでした。

ミセス・ベンは、自分を必要としている人のそばにいたいという気持ちを優先することを選びます。仕事として必要ではなく、自分を人間として必要してくれている人のそばに。
手紙の中では、旦那さんとはすでに破綻していると書いてあったので、お屋敷で一緒に働いてくれて自分のそばにいてくれるだろうと確信していたスティーヴンスの期待をあっさり裏切ります。

屋敷で一緒に働けないと知り、かなりがっかりしているのは、彼のセリフからではなく、上の空という表情からよく伝わってきます。

二人は距離を縮めそうで縮められないという磁石の同じ極のよう。
スティーヴンスは、ダーリントンハウスで執事として忙しく働くことを選択するので、二人は似たもの同士。

あと、ミス・ケントンが「若い子が結婚をして苦労している」と言うセリフや、スティーヴンスの父親がスティーヴンスへ「お母さんとほかの男」のことを言い、「お母さんのことは愛していない」と話しているので、結婚に対しては二人とも臆病なはず。

なので、結婚してもきっとうまくいかなかった可能性が大きいでしょう。
それに、二人が結婚していなかったからこそ、相手の思い出を美しいままで記憶にとどめておくことができ、きっとこれからも、現実逃避するときに、過去の良き時代を回想していくのでしょう。


気になるのは、スティーヴンスが、ミセス・ベンに対して、「もう会うこともないでしょう」となぜ自らいってしまうのでしょうか。
スティーヴンスが冷静に丁寧だからこそ、冷たさを感じます。
そして、恋愛での女性に対してこの不器用さ。

「もう会うこともないでしょう」という言葉に、腹立たしさも感じたものの、ここは、スティーブンスの母親と、スティーブンスの父親以外の男性の存在 のことを思って、身をきっぱり引いたと思うことにしました。

ミセス・ベンの自分への気持ちがよみがえることによって、不穏な空気を彼女の生活にもたらさないよう、彼女の幸せを願うからこそだと、と理解するに至りました。

 

ラストの部屋に迷い込んだ鳩を新しい主のルイスと一緒に追い払う場面について

この部屋で新しい主人のルイスが、「私はここでダーリントン卿を怒らせてしまったが、何を言ったのかは覚えていない」なとと言い、どういったのか覚えているのかをスティーヴンスに聞きます。

このとき、ルイスは、あの非公式な国際会議の場で何を言ったのを本当に忘れてしまったのでしょうか・・。

①一つには、本当に忘れてしまったという場合
⇒映画の製作者としては、何気ないたった一言であっても、人を傷つけたり、
大きな波紋をもたらし、多大なる変化をもたらすこともあるというということ。

②自分に仕えるスティーブンスを試すための質問だとしたら、
⇒ルイス自身が執事のスティーブンスに外の世界をみるといいからと休暇をとらせたももの、実際に外の世界へ行き、どんな情報を得てきたのか。これからも自分に仕えてくれるのかを試した。

という風にも考えることもできます。

そして、スティーブンスはこの部屋での、ルイスからの質問によって、当時の記憶が改めて一気によみがえります。
・自分の尊敬する人格者であるダーリントン卿を傷つけたあの会議の日は、
自分が敬愛する執事の手本となる父親が亡くなった日でもあるということ。
・今、ルイスとスティーブンスがいるこの部屋で、ダーリントン卿が名付け親のカーディナルから、スティーブンスが質問されたときの日の出来事。
・その日は、ミス・ケントンから結婚して仕事を辞めると聞いて、カーディナルに質問されても、ミス・ケントンのことで頭がいっぱいで上のそらだったこと。(カーディナルと対面しているとき、ちょっと涙をぬぐっていたのも印象的でしたが、ミセス・ベンとのお別れのときも同じしぐさをしています)

映画の冒頭で「世界がお屋敷にやってきた」と感じていたスティーブンス。
その後、旅行から戻った彼は、それまで、ただ点だった出来事が、外の世界の一般の人の意見にも触れ、自分の価値観が崩れるとともに、あの非公式の会議のその日から今日に至った経緯など、「この部屋のあの時」から、「この部屋の今」に至るまでの事柄が、一本に道がつながったように感じてさぞかし複雑な思いを心に抱いたことでしょう。

ルイスが、政治のアマチュアだと言い放ったその日が、変化が起きるきっかけとなり、こうしてルイスに仕えることになった運命のいたずらを。


窓から鳩をルイスが逃し、窓を閉めるスティーヴンスの姿が映し出されますが。空からダーリントン・ホールを空撮するために、鳩を登場させたのだとは思いますが、ここは、直前でミセス・ベンを見送ったあとの手のひらがアップで映し出されていますから、ミセス・ベンへの淡い恋心を手放すことをも想像させます。

鳩が外を飛び立ったあと少し見つめるものの、スティーヴンスは、窓の扉を閉めたあと、窓に背を向けるところは、自らをまた、このお屋敷の狭い世界にまた閉じ込めるという感じがしましたが、その姿からは、何かしらの決意をしたのを感じました。

そんな風な終わり方なので、過去を回想して悲しさに浸るのではなく、気持ちを切り替えて、人生の時間をその先へ自らの意思で歩んでいくんだと思います。

■映画『日の名残り』のタイトル評

日本語の美しさがにじみ出ている文句ない素晴らしい邦題だと思います。